Movie2009_03

グラディエーターグラディエーター

滴る男汁

ローマの街中の石畳。「グラディエーター」を見終え、ふと、あの石畳は幾人もの戦士達の血と汗で彫刻され、今もなおローマを支えているのだと思うと感慨深いわ・・・。

主演はラッセル・クロウ、監督はリドリー・スコットよ。物語は至ってストレート、時は西暦180年のローマ帝国。クロウ演じるローマ軍の将軍は次期皇帝として最有力だったけど、現皇帝の息子の企みにより妻子を処刑され、奴隷としてコロシアムで闘う剣闘士に落ちぶれてしまうの。そして、彼のプライドをかけたリベンジが始まったわ!

よく、プロデューサー仲間の囁きに『ローマものには手を出すな』という鉄則があるの。実際「スパルタカス」「ベン・ハー」以降、ローマ帝国をテーマにした作品はことごとく失敗しているのよ。何故かと言えば、美術に巨額な費用がかかるし、ストーリーが古びて派生が難しい。鎧と兜に勝るインパクトの強い俳優がいない等・・・の理由があるわ。 

それをドリームワークス社がCG補完によるコロシアムの再現、男汁タップリのクロウ、TVゲームのバトル系の好調さを背景にシンプルなストーリーで勝負に挑み、大成功となった訳なのよ。これがキッカケで『ローマものには手を出すな』という怨念が払拭され、「300」のように180度マーケティング定義までが変わってしまったようね。

グラディエーター=剣闘士の基本的なストーリー・ラインは、既に1914年の「Cabiria」とイタリア作品で確立されているの。それは“強い者同士が闘い最後は正義が勝つ”という図式。そこにキリスト教が絡み、正義を問いかけ、ユーモアも忘れず、濃〜いロマンスが基本スペックとして構成されれ、「グラディエーター」もしっかりとこれを踏襲しているわ。

男が伝統的な価値観に乗っ取って闘い最後には勝利を得る、というコンサバティブな内容は多少面白みに欠けるけど、「グラディエーター」はとても楽しめる作品と言えるわ。ローマ帝国系を2時間半でまとめる時に難しいのが登場人物の相関関係の複雑さ・・・これがテンポを崩し飽きさせてしまうケースが多かったのだけど、今回は主人公を絞込む事で関係が見えにくいローマ相関図式をオブラートしたのが良かった! 

公開当時、予想以上に女性層にも人気だったのよ。これは米の場合だけど、夏本番前の女性を意識した作品が集中する時期にあえて『きっと女性はロマンスものに飽きている』との判断から汗臭い作品を投入した事が功を奏したわ。

監督のリドリー・スコットと言えば「ブレード・ランナー」他、どんな時代を背景にしようとも必ず現代の課題とリンクしている描写が多い。今回もローマものながら何気に現代社会の構図とオーバーラップさせているのが彼らしいわ。21世紀のコロシアムは意外に身近に存在しているのかもしれない・・・ドドーン!

ファイトクラブファイト・クラブ

悩める男は傷だらけ

2009年のアカデミー賞監督部門でノミネートされ、独特の映像美を見せるデビット・フィンチャー。その彼が危ない非日常の世界を描いた1999年作品が「ファイト・クラブ」よ。主演はブラッド・ピットとエドワード・ノートン。

近年の米作品の背景にある特徴を見られるわね。それはアメリカン・ドリームの反対側に存在する暗い一面をテーマにするものよ。「American Beauty」や、この「ファイト・クラブ」も同じ背景があるの。アメリカ型経済原則では"勝ち組み"と"負け組み"がハッキリと二分され、その"負け組み"が実は大勢いるという事実が深刻な社会問題になっているわ。

最初に登場する退屈な日常に不満を持つジャック(ノートン)は、見た目は"負け組み"ではないエリート社員だけど精神的に病んでしまっている負け側の人間。それを癒そうと重病患者のカンセリングに顔を出すようになるの。病人に成りすます事で、自分の心を開放させる事が出来るかもしれないと思ったのね。そこで同じように病人に成りすました女(ヘレナ・ボナム・カーター)と出会いが・・。

やがてジャックは風変わりな石鹸売りのタイラー(ブラピ)と遭遇。二人で世間に幻滅した人間の集まり"ファイト・クラブ"を創設するのだった!クラブのルールは、他人にこの集団の存在を絶対に話さない事。当初は素手の殴り合いで不満を解消していたけど、やがて反国家的な軍事組織へと変貌していくというお話なの!なかなかブラピは登場しないけど、サブリミナル的に彼のショットが前半に挿入されているわ。

暴力をテーマにした社会的インパクトと言えば、キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」が真っ先に思い出されるけど、「ファイト・クラブ」はそこまで現実の暴力や無秩序の社会問題を深く追及しているわけではないの。かと言って、単なるストリート・ファイトの作品ではない。やはりそこには、病んだアメリカの一面がうかがえるのよね。

公開当時賛否両論が出たこの作品。『暴力がライフスタイルの一部として描かれている』との否定的な意見も多いけど、社会になじめなくなった男達の行き場の無い描写と演出には素晴らしいものがあり、脚本も良く、ブラピとノートンの演技にも冴えを感じるわ。ただ、この「ファイト・クラブ」がアンダーな一場面を象徴的にクローズアップしただけと感じてしまう部分も確かに多いけど、それは見る人の国情によってもだいぶ違ってくるの。特に欧米ではピリピリものかも。

監督のデビット・フィンチャーは企業CFやアーティストのプロモーション・フィルムの作成で有名な"プロパガンダ・フィルム"の出身よ。それだけに映像表現には奇抜なショットが多いわ。今回もファイトシーンには圧倒されちゃうわよ。過激なシーンも多いけど、一つのドラマとして見ごたえは十分ね。

そして個人的には、あの伝説的おでぶロッカー、ミートローフが役者として出ているのも興味深い~!!

ブレア・ウィッチ・プロジェクトブレア・ウィッチ・プロジェクト

虚構の神話

公開当時、色々な意味でこれほど話題になった作品は覚えがないなぁ〜。それは「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。400万円前後の制作費で最終的には200億円ぐらいの売上が出たのかしら??

物語は、魔女(ブレア・ウィッチ)伝説を追及するためにメリーランド州の森の中へ入り行方不明になってしまった3人の映画学校の生徒の一週間をドキュメンタリー風で描いているのよ。失踪の1年後、彼らの持っていた撮影機材とVTR&16mmフィルムのみが発見され、映画は発見されたフィルムを元に制作された事になっているの。全てが本当にあった事のように作り込みがされているから面白いわね。

映像は照明もなくカメラも手ぶれ。ただパニック状態に陥って行く3人の姿がひたすらリアルに描かれているの。森に潜む恐怖の実態は何も出てこない。何が森の中にいるのかを見せない事で心理的恐怖をあおっているのよ。あらためて恐怖の原点って何だろうと考えてみると、“主の無い声”“やみ夜”“森”“足音”“有機的に置かれた物証”だけで人は勝手に自分の中の恐怖を呼び覚ましてしまうのね。

主演者には台本など無く自分自身の体験や感情を活かして本当に魔女探しに徹しさせたり、そのために役名も本名で実生活の背景に合わせたり、制作スタッフは撮影中はずっと隠れていて、演出上の指示は役者が通る道に缶の中に入れておくという念の入れようよ。 

この作品がブレイクした最大の要因は映画が良かったからというだけではないわ。米での公開1年前からインターネット上でサイトを立上げた時からスタートしているの。といっても、これは宣伝の為のサイトではなかった・・・。

実際は派手な市場操作でありながら、アクセスする側にそんな気を起させない重厚な構成で、魔女伝説の研究的エレメントが実にしっかりしていたわ。だから今でも10代のユーザーは『この話は作り話だとは思っていない、映画のような事があったと信じたい!いや、信じている』と思っている人が多いのも事実。インターネットで現実と幻想との区別を希薄にする事に成功したわ。

つまり映画はこの“虚構の神話”の一つのパートに過ぎないって事よ。だから監督は既に公開前からカルト・カルチャーのヒーロー的存在になっていたわ。

米では劇場に入る前から自分の網膜に魔女の姿が投映されている人が多いの。それも、想像力次第で魔女の恐さは人それぞれに・・・キャーッ。 

サイトでは早くも公開後に実写では演出不可能な部分を補っているし、神話的アプローチの定番とも言える“その前”“その後”に展開できる要素が多分にあり、見る側もそれを期待してるわ。魔女に対しての宗教的背景もあるので、コアなマニアを中心にユーザーがこの“虚構の神話”に深さと知性を与え成長する可能性も有るのよ。そして、その時々に映画やTV番組等のメディア露出で魔女伝説を流布するという心理をとらえた見事な戦略!

無名の役者に、ストーリー・特撮・サントラもなし。これは本当に過去の映画制作の常識を覆したわ!一般的な映画の見方をしてしまえば賛否両論になってしまう作品だけど、映画を全体のピースとして表現したのは、予算を逆手にとったオリジナリティーのある発想なのよね。

この作品に限っては映画だけを見て云々というレベルのものではないの。映画としてではなくプロジェクトとしてブレイクさせた記念すべき出来事ね。作品に触れるのではなく、この感覚に触れることに価値があるのだと実感したわ。

落下の王国ザ・フォール 〜落下の王国

彩られた現実と前向きな自分

映画とは、見る者を現実世界からあっという間に幽体離脱させてしまうという力を持っていると思う。2008年に公開された「ザ・フォール 〜落下の王国」もそんな作品のひとつよ!

ザ・セル」のターセム監督が手掛けたという事でかなり期待大!だったのだけど、その予想を裏切る事ない見事さだったわ。

前回同様、石岡瑛子さんが衣装を担当されたので、とてつもなく洗練された美しさが溢れていたの。背景と人物の色合いを見事に計算し、斬新ながらそれぞれのキャラクターの個性に合ったデザイン・・・この人は天才だ!敵方の鎧もファッショナブルながら不気味さとユーモラスさが出てるし、なに、この色使いは!・・・とにかく見て頂きたい。

物語は1915年のアメリカが舞台。木から落ちて怪我をしてしまった少女、アレキサンドリアは入院中の病院で足のケガでベットから起きれないスタントマンの青年と知り合うの。好奇心旺盛で素直な彼女は青年が作った物語の虜となり、続き聞きたさに彼の病室に通う毎日。しかし青年は自殺を目論んでおり、アレキサンドリアに自殺用の薬を調達させる為に話を聞かせていたのよ。

日常の生活と青年が紡ぎだす物語の世界が交差し、画面から全く目が離せなかったわ。日常は暖色のホカホカとした色合いなのに、想像の世界では有り得ないほどの鮮明さ・・・しかもそのクリアさが全く違和感無い。これこそ数々の名CMを作り続けた鬼才ターセムの力ね!

今作でもミステリアスで美しい"セルジュ・ルタンス"の世界は健在だったわ。そして驚く事に、今回アレキサンドリアを演じたカティンカは本当に"少女"だった!彼女は演技という概念がなく、普段の会話そのもの。間やセリフ回しがあまりにも自然だったのは、脚本家と彼女でセリフを作り上げて行ったからだそうよ。どこかのドラマみたいに相手のセリフ待ちなんていう不自然さはひとつもないわ・・・参りました!

最終的に青年は、アレキサンドリアを通して生きるというまぶしさやひた向きさを見出すのだけど、そこに行き着くまでの青年の心の葛藤と少女が痛みを伴いながら負と戦っていく様子は絶品!大人も子供もないんです・・・皆生きて行く事に一生懸命だもの。見終わった後は鮮やかな色が脳裏に刻まれ、心の温度がちょっとだけ上がった気がするわ。

X-Men「X-MEN」シリーズ

アメコミとマイノリティー

米の古典カリスマ・コミックと言えば1963年創刊の「X-MEN」。既にシリーズで三本映画化されたわ。そこで改めて語ってみようかしら。

舞台は近未来、登場するのは突然変異し高度に進化した人間のミュータント。彼らは覇権を企む者たちと、今を守ろうとする者たちの思想の全く異なる二つのグループに分かれるのよ。

アバウト50年前のコミックが根強く支持されるには理由があるわね。それはミュータントが象徴するのはマイノリティーで、思春期の子供達だと言う事。映画の中でも正義側と悪側にグループ化しているけど、二つの共通点は共に社会から孤立している事かしら。これは先のマイノリティーと思春期の子供達にも共通しているよね。優しさが行き過ぎると逆にキレちゃったりとかね。

特に、思春期に誰もが味わう『自分は世間から孤立しているんじゃないか』っていう感覚で自分の居場所を探し求める者たちへの偏見へのメッセージが作品に込められているわ。それがコミック、映画ともに共感されてる部分かも。

それとコミックにはシェイクスピアの善と悪の世界を巧みに織込んでいるのもファン層が広い要因ね。基本的にはアクション・アドベンチャー作品だけど、背景の奥深さを感じ取る事が出来るわ。オープニングの10分でその哲学がつかめるし・・。

シリーズも3作品頃には予算もあってか更にその表現力は素晴らしいわね。物語を見事に補完しているわ。しかし、日本のコミックは実写化するとどうしても原作のイメージから逸脱したりチープに仕上がってしまうのが常。でもここまで重厚に忠実に映像化出来るというのは凄い。

アメコミはもともとがリアルに描かれてはいるけど、独特なルックスやコスチュームが実際の映像の中で浮かずに馴染むというのは細部に渡り作り込んでいるという証拠ね。海外でどんどん実写化されている日本の原作・・中には違った解釈で描かれてしまってるものもあるから、違和感を感じるものが多いわ。まずは「これだ!」と言えるくらい自国の世界観を打出した作品を作らないと、ミュータントの仲間入りは出来ないかも・・。

メメント「メメント」

生を繋ぐもの・・・

着眼点が素晴らしい映画は沢山あるけど、じわじわと"やられた感"を感じる映画。それは2001年公開「メメント」よ!

何でこんな事を思いつくのか!?と感心するばかりのストーリーなの。愛する妻を殺されてしまった保険調査員レナードはそのショックから"前向性健忘"という記憶障害になってしまう。発病前の記憶はあるけど新しい事を覚えこむ機能が弱く10分という短時間の記憶しか保てない彼は、ポラロイド写真にメモを書き込んだり、自分の体にタトゥーで忘れてはいけない情報を彫ったりと、色々な努力を続けながら犯人探しを始めるのよ。

彼に親身に協力する男や女・・・様々な関わりを持つ人間が果たして"本当にレナードが思う通り"の人物なのか、謎は深まる一方。そうこうしているうちに彼は真実に辿り着くかのように見えたけど、やがて記憶は上塗りされメビウスの輪の中に・・・。

レナード演じるガイ・ピアーズの演技にもガツンとやられたけど、斬新な映像の構成に驚かされたわ。時制を一端分解し、モノクロとカラーで物語を再構築して見せて行くという手法には脳がグラグラ。仮にストーリーを考えられたとしても、実際に映像化するというのは至難の技だわ!編集している段階で何処が何処のシーンで・・・と混乱してしまいそうよ。もし自分が主人公と同じ状況なら、タマネギの皮をむくように常に新たな岐路に立たされる訳だから本当に恐ろしい事だわ。でも、ある時からその"恐ろしさ"すら忘れてしまうのかも・・・。

人間は辛さや悲しさを時間という概念で徐々に消化して行くけど、忘れるという行為はある意味幸せでもあり不幸せな事でもあるのよね。物語が進行するにつれ、いつ終わるともしれない旅に出てしまったレナードに何とも言えない切なさを感じたわ。彼を生かしているのは、忘れまいと自分の体に彫りつけた"復讐"という目的だけ・・・。

厳しい目的ではあるけど、生きて行く衝動に繋がっている事に間違いはない。ストレスが蔓延するこの時代、嫌な事を「忘れたーい」と思う瞬間は数え切れないほどやって来るわ。でも仮に問題を忘れられたとしても何の解決にもならない。自分1人だけが生きてる訳ではないから・・・。結局人間は、何かしら問題と向き合って行く事が生きているという実感に繋がっているのかもね。

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